2006年 02月 13日
別れの時
帰省した。
今回も、お悔やみごとだったので気が重い。
めいこが痙攣を起こしてから初めての登校だったので
心配だったけれど、高め設定にして
おばあちゃんに、くるりるをお願いして。
やっぱりおばあちゃんがいてくれて助かってます。
文句ばっかりいってるばか嫁でごめんなさい。
人が亡くなるというのは、たとえ私たちクリスチャンにすれば
天国で再び会える、という希望があったとしても
悲しみは打ち消すことができない。
今までのご苦労を思うと、地上においてもっともっと
たくさんの幸せを感じて欲しい、これからはずっと、と
思っていた人だったからこそ、なおのこと。
でも、喪主の方の、りんとした姿に圧倒された。
もちろん、悲しみは消えないのだけれど
祈りの中で、倒れられた伴侶と対話し、
そして静かに見送られ、嘆き悲しむ私たちに感謝の礼までして下さる。
こうありたいと思う、告別の時だった。
私の大好きな人たちを見送る番になったとき、
こうありたいと強く思った。
たくさんの列席されていた方々が、何かを感じ取られて
帰られたに違いない。
祈りつつ。
今回も、お悔やみごとだったので気が重い。
めいこが痙攣を起こしてから初めての登校だったので
心配だったけれど、高め設定にして
おばあちゃんに、くるりるをお願いして。
やっぱりおばあちゃんがいてくれて助かってます。
文句ばっかりいってるばか嫁でごめんなさい。
人が亡くなるというのは、たとえ私たちクリスチャンにすれば
天国で再び会える、という希望があったとしても
悲しみは打ち消すことができない。
今までのご苦労を思うと、地上においてもっともっと
たくさんの幸せを感じて欲しい、これからはずっと、と
思っていた人だったからこそ、なおのこと。
でも、喪主の方の、りんとした姿に圧倒された。
もちろん、悲しみは消えないのだけれど
祈りの中で、倒れられた伴侶と対話し、
そして静かに見送られ、嘆き悲しむ私たちに感謝の礼までして下さる。
こうありたいと思う、告別の時だった。
私の大好きな人たちを見送る番になったとき、
こうありたいと強く思った。
たくさんの列席されていた方々が、何かを感じ取られて
帰られたに違いない。
祈りつつ。
by okaeri110
| 2006-02-13 22:55
| Jesus